番外編・土屋華章のご先祖様たち-その②土屋右衛門尉昌次ー

            -人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵なり- 風林火山の軍旗を掲げた武田騎馬軍団は戦国最強と評され、それを率いた武田信玄は《甲 州の虎》という呼び名で恐れられた甲斐の勇将として知られている。信玄は本国甲斐には生 涯一度も城らしい城を築かなかった。彼のつつじヶ崎の居館は城というには程遠い。 …
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番外編・土屋華章のご先祖様たち-その①土屋惣蔵昌恒-

  『申し上げまする!我ら赤穂藩・浅野家遺臣47士、家老・大石内蔵助良雄を頭に本日、主 君浅野内匠頭の無念を晴らすため、吉良屋敷に討ち入りましてございまする。火の元万事念 入りに仕り致してお手数はかけ申さず、必ず必ず加勢にご無用なしと貴殿主君にお伝えくださ りませ!』 ご存知《忠臣蔵》・・・元禄14年、江戸…
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ことじ物語-エピローグ-

    《高いところから立ち並ぶ屋根をみていると、どこの家も皆平穏にその日一日を暮らしている ように見えるけんど、ひとたびその屋根を取り去ってみると個々の家々には大なり小なりの 喜びや悩み、笑いや涙があるもんさぁー》 ことじお祖母ちゃんの言葉通りに、個々の家々にはその家なりの歴史やドラマが隠れている …
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第16章・琴の音色は・・・

   母が選びに選んだ揃いの一張羅を着せられ、テレビカメラのモニターに映る自分達の姿がお かしくて、私達三姉妹の《変なポーズ》は益々エスカレートしていった。  まだ弟が生まれていなかったのだから、確か私が幼稚園に上がる前のことであったと思う。 夕方に放映されるローカルテレビ放送にありがちな《○○さん一家の…
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第15章・ことじの戦後―半生の集大成―

  ことじは座敷の片隅にそっと《それ》を飾り置いた。 さり気なく、しかし確実に目が留まる場所に・・・・・・・。  亀之助が技能者養成所を設立し、東京などから彫刻の専門家を招いた講習会を開催してい た以前にも、水晶美術彫刻協同組合では華章(孝)が中心となって職人達の技術勉強会なる ものを度々開いており、その…
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第14章・ことじの戦後―技術の伝承―

   《蓋に兔、両把手は象の鼻、胴には鶏》・・・職人・土屋華章(ことじの夫・孝)の作製したもの の中で、代表的に知られている《水晶花瓶》という作品がある。 これは、大正天皇のご大典記念に際して大正4年に献上・ご喜納となったものであるが、その 図柄には、大正天皇のご誕生年である明治22年と即位大典の大正4年の年回り…
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第13章・ことじと終戦―希望の音色―

   《堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・・・朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国二対シ其ノ共同  宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・・》  昭和20年(1945年)8月15日正午のラジオによる天皇の玉音放送により、日本国民に対し 盧溝橋事件以降の対中戦争とそれに付随して起った東南アジア各地の戦争、太平洋戦争/ …
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第12章・ことじと戦争―さようなら魚町―

     戦局が泥沼化の様相を呈し、米・英・仏などへの販路は勿論のこと、《贅沢は敵である》とい う風潮から国内においてもその需要は皆無といっていい状態に陥った(事実、国民生活は窮 乏を極め、人々は食べることが精一杯の毎日であった)土屋華章美術製作所の商い。日本軍 が米・英軍と戦っていた南方戦線から遠く、またまだ日ソ…
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第11章・ことじと戦争―美しきは何処へ―

   土屋華章の《華》・いよ子がその若き生涯を閉じた昭和15年(1940年)は、日本の『紀元2 千6百年』と称され、わが国が日中戦争から太平洋戦争へとその戦力を拡大していくターニン グポイントとなった年である。 『紀元2千6百年』とは、日本書紀の神武天皇から数えた皇紀が2600年にあたるという非科 学的な紀元…
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第10章・ことじの悲しみ

     わが国は、1931年(昭和7年)の満州事変を皮切りに大陸での侵略拡大を本格化させ、その 翌年に関東軍の絶大な援護によって建国された満州国が、《日本の本土及び朝鮮半島(当時 の支配下)の防衛と大陸利権確保のために作られた傀儡政権である》という国際連盟の批判 に対立する形で、1933年(昭和8年)に同連盟を離…
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第9章・土屋華章の珍客

   《この家の主人は土屋華章という人品のいい老人だが、二十五歳のとき金剛砂を使ってモ ーターで水晶に加工することを発明した。今までに弟子を百人ばかり育てている。(中略)三人 の職人がシナの仏像写真を前に置き、大体その感じを出すように、信濃川産の翡翠で仏像を 刻んでいた。外国人の注文だという。華章老が『アメリカ人は、…
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第8章・ことじの自慢

  『あぁーいい湯だった♪』 『!?・・・・・・・・・』 手ぬぐい片手の一糸まとわぬ格好で、廊下を涼しげに歩くことじ。住み込みの若い弟子職たち の夕餉の手は止まり、茶碗と箸を手に持った持ったまま、目線は釘つ゛けとなって廊下を歩く ことじを追う・・・・。  ことじは開けっぴろげな性格で、夏の暑い…
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第7章・ことじの秘密

   第一次世界大戦終結と共に押し寄せてきた不況にあえぐ日本経済とは相反して、1920年代 の米国は大戦への輸出で発展した重工業投資や帰還兵による消費の拡張、そして何よりモ ータリゼーションのスタートで自動車工業が飛躍的に発展し、《永遠の繁栄》と呼ばれる経済 的栄光を手にしていた。大戦特需にわいた日本の造船・製鉄・化…
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第6章・ことじの商才―商売の秘訣―

   ことじと夫・孝の商売には実はある秘訣があった。それは・・・・・         《大事な交渉事は必ず女が行くべし》 非常に単純ではあるが、これが以外にも土屋華章の商いでは大変重要なポイントになってい たのだ。その極意とは・・・それでは、当時の時代背景を踏まえながら、この《女が行くべし ・・・》の様子を少し…
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第5章・ことじの商才―外国人との商売―

   1914年(大正3年)セルビア人によるオーストリア・ハンガリー帝国皇太子の暗殺(サライヴォ 事件)が引き金となり第一次世界大戦が勃発。その直後こそ戦争の世界規模への拡大に対 する混乱から一時は恐慌寸前にまで陥ったが、戦火を免れた日本と米国両新興国が物資の 生産拠点として貿易を加速させ、日本経済が空前の好景気に湧…
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第4章・ことじの結婚―土屋家の人々―

  土屋家でのことじの奮闘振りをご紹介する前に、少しだけ彼女を取り巻く土屋家の人々につ いてお話をしてみたい・・・。  ことじの舅・松次郎(孝の父)は職人名を【松華】と言い、水晶印鑑の篆刻で腕を磨き、後に 東海道一円に篆刻の技術を教え広めた《篆刻家》として名を知られた人であった。 そのまた松次郎の父(孝の祖…
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第3章・ことじの結婚 ―夫・孝―

  明治45年鵜飼橋の熱烈な恋文攻撃が二人の距離を急接近させ、孝とことじは結婚した。  同年7月明治天皇が崩御し、その子供・明宮嘉仁親王が次の天皇として即位。元号が新た に大正となった節目の年であった。大いにテレがあったのであろう、『なぁに、おコトが27になっ ても貰い手が無くて可哀想だったから仕方なく嫁にもらっ…
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第2章・ことじの青春-キャリアウーマンことじ-

『おまんさぁー!ないしちょっと?』(あなた何しているの?)  『ないしちょっと?』と言われても勝手口裏の井戸で洗濯をしているだけである・・・・。 東京西ヶ原・蚕業講習所製糸部の伝習生として2年間の実際応用的な勉強を修了し、晴れて 農商務省管轄下の製糸検査技術員となったことじは、横浜の生糸検査所を皮切りに、日本各 …
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第1章・ことじの生い立ち

『私が持たんきゃぁ誰が持つでぇー!』  少女ことじは切断への恐怖心とあまりの激痛でバタついている母の足をガッシリと押さえ 持ちじっと耐えた。ことじの母は足先に出来た傷の炎症から壊疽が進み、ついには足の下部 の切断を余儀なくされていた。その母の足の切断に立会い狼狽するばかりだった姉達の中 で、気丈にも母の…
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土屋ことじ物語-プロローグ-

[琴柱]-ことじ-琴の弦につけ音程を調律する小物のこと・・・。  私の生家は山梨県甲府市で江戸末期より水晶や貴石の研磨細工加工を生業とする工房 で、私が生まれた昭和42年頃は、丁度日本が約20年前の世界大戦での敗北から見事な復 活を遂げ飛躍的な経済成長を見せた、いわゆる『昭和の高度経済成長期』の頂点をきわめ…
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